プラチナ(白金)の歴史

Posted on 1月 10th, 2013 1月 10th, 2013 by kaitoriad

古代エジプト第18王朝時代に、ファラオの装身具として使われていたという経緯があります。現在最も古い白金製品として現存しているものは、ルーブル美術館に収蔵されている、テーベの小箱といわれているものです。エジプトのテーベの、女性神官シェペヌペットの墓から出土をしたものであり、これは年代として紀元前720年から、紀元前659年ごろのものであると推測されています。
10世紀ごろになると、南米においても装身具として使われていたと考えられています。純度80%以上にもなるもので、当時から高い水準の精錬技術があったのではないかと考えられる要因になっています。

ですが、これは合金の状態のものであっても、融点までの加熱をすることはそのときの技術ではとても不可能なことでした。しかし、貴金属であるために酸素では酸化されないという性質を利用し、粉末状、粒状にしたものを、今で言う粉末冶金などの方法によって成型していたのではないか、と考えられています。
スペイン人によって南米が侵略された際、そのときヨーロッパで広く使われていた銀と間違われてしまい、略奪される際に持ち去られていきました。ですが、プラチナは銀よりも融点が高いものであり、これは銀のための加工設備では溶かすことができません。そのために、銀と勘違いされたままにそのとき大量に廃棄されてしまったのです。
スペインの軍人であり、探検家であり天文学者でもあるアントニョ・デ・ウリョーアは、フランス科学アカデミーの一員となり、ホルヘ・フワンなどと共に1735年にはペルーに渡っています。南米には、それから1744年まで滞在をしていたといわれています。
このときに、コロンビアのピント川河畔において銀によく似た白い金属を発見しています。本国に帰国すると、アントニョ・デ・ウリョーアはフワンと南米諸王国紀行という本を出版しています。この中で、その白金鉱石についても触れています。これによって、白金鉱石は再発見されることに至ったのです。
ピント川の小さな銀、platina del Pintoというように呼び、ここからplatinumという言葉が生まれていったといわれています。
白金はこれまでに、約4000トンが人類の手によって発掘されています。体積にすると約200m3、これは一辺が六メートルほどの立方体くらいの大きさになります。非常に希少性のある貴金属であるので、例えば現在でも入手が困難なものについて、プラチナチケットのように例えられることもあります。

金サイト

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